第36号
2007年3月14日発行

大阪体育学会
広報委員会


『大阪体育学研究の進むべき道は?』
副会長  伊藤 章
 体育学研究において、持ち回りの担当ということで、以下のような内容の編集後記(第51巻、第1号)を書いたことがある。それは一編集委員として体育学研究のこれからの時代における役割について議論しようとしたからである。その中で、まず“研究内容によって異なるが、和文の学術誌は海外の研究者によって読まれ、引用されることはほとんど無い。したがって、国際的に評価されるには研究論文は国際誌に投稿しなければならない”という否定することのできない実情を確認した。そして、ある研究者から聞いたエピソードを紹介した。全文を引用するが、“和文の学術誌に掲載された論文を英文に書き換え国際誌に投稿しようとすると、二重投稿だと批判されてしまう。だから、どのように優秀な論文であっても、一旦和文の学術誌に掲載されると、その後国際的に日の目を見ることが無くなってしまう。今考えるとあの論文を日本の学術誌に投稿しなければよかった”というものである。和文の論文は日本人の研究者、大学院生、学部学生、一般 の方々にとって読みやすく、和文の論文だから表現できるという利点もある。大阪体育学研究について考えてみよう。上記のような国際誌へ投稿するか否かの議論の前に、大阪体育学研究に掲載されることは喜ぶべきことであるが、体育学研究などの和文の学術誌への投稿を断念することにつながる可能性も秘めている。もちろん、論点を変え資料を加えるなどによって他の雑誌への投稿は可能ではある。
 大阪体育学会を運営する立場にある者として、大阪体育学研究に論文を投稿し、掲載されるメリットは何であろうかと問われたときに、今直ぐ立派な答えを出すことはできない。しかし、少なくとも次の点に関して寛容になれば、大阪体育学研究の価値はあきらかに維持できると思う。つまり、大阪体育学研究が最近良く見かけられる何かに規制されたがんじがらめの論議しか許さない雑誌ではなく、自由な創造性あふれる論議の展開が許される雑誌であるならば、ということである。大阪体育学研究をどのように育てるのかは我々会員が決めるのである。