第32号
2005年2月15日発行

大阪体育学会
広報委員会


『近頃の若い者は・・・』
副会長  佐川 和則

 いつの時代も「近頃の若い者は・・・」というフレーズはなくならないようだ。私は青年期を「長髪」と「茶髪」とのちょうど真ん中の時代に送った。あの頃は批判の象徴としての「長髪」や「茶髪」があったのだが、今の若者を批判するときの象徴はといわれるとよくわからない。それほど今の若者は「多様化」し「多価値化」しているのだろう。

 目上の者に対して「ためぐち」で話すことが普通になり、尊敬語や丁寧語がまったくできない若いボクサーがメディアに頻出しちやほやされる。大学の体育の時間に整列させようとすると、「気をつけ」、「休め」、「前ならい」がまともにできない。ずいぶん前からおかしいとは感じていたが、昨今のありようは危機感さえ覚える。

 このような道徳観や規律の低下は子供たちに限ったことではない。世間を騒がせている「耐震偽装」や「偽計」などはその典型例であろう。大人社会の道徳観の低下は、子供たちに対して「近頃の若い者は・・・」と叱れない弱気な大人を生み、その悪循環がさらに日本人の精神を貧弱なものに変えていくような気がしてならない。

 わが国では新自由主義を標榜する構造改革が進みつつある。同じ新自由主義的改革といわれる先のレーガンやサッチャーの教育改革では、子供たちの学力や学校生活の規律を高めることを目指したのに対して、わが国のここ十数年の教育改革は「新学力観」、「ゆとり教育」といったまったく正反対の軸に立っているのはなぜだろうか。それはさておき、ここでは道徳や規律の教育は社会・学校・家庭のどの場でも行われるべきものと一応の理解を示しつつも、われわれが担当する「体育」が、その中でも特に重要な役割を担っていると私は考える。