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第38号
2008年3月15日発行
大阪体育学会 広報委員会

 

「ルーツを探る」
会長  後 藤 幸 弘 
 大阪体育学会は、2010年に、日本体育学会の大阪支部時代を含め50周年を迎えます。日本体育学会の大阪支部の機能も引き継ぎながら、大阪の独自性を発揮しやすくするために、独立学会としてスタートして20年の節目の年にも当たります。そこで、2010年の3月21・22日の両日に記念学会・記念事業を開催することが決定され、その内容を武智準備特別委員会委員長を中心に検討していただいています。
 記念事業の柱に、大阪(関西地区)が、日本のスポーツ・体育(身体運動文化)の発展にいかに貢献してきたかを明らかにすることを据え、大阪の活性化とともにさらなる発展の契機になることを願っています。すなわち、「温故知新」です。
 管見の範囲で、1・2例をあげますと、ミズノスポーツ(1906年創業)、ゼット株式会社(1920年創業)、デサント(1935創業)などをはじめ、日本を代表するスポーツメーカーの多くは大阪で生まれています。また、日本女子オリンピック大会(第一回1924年)、大学女子駅伝など、多くのスポーツの全国大会も大阪(関西圏)で開催されていました。
 今年で86回を数える冬の全国高校サッカー選手権大会が大阪で開催されていたことを知る人も少なくなったのではないでしょうか。 関西圏での最後の開催となった1975年(北陽高校優勝)以来、関西地区からは優勝校の出ていない意味についても考える必要があると思います。
 日本初の学校プール創設(1913年)は、府立茨木中学校(現茨木高校)であります。日本女性初の五輪(1932年)金メダルリスト前畑 秀子さんも和歌山県橋本市の出身であります。
 国際化に目を向けても、外国への「同化」ではなく「異化」にこそボーダーを超える本質があると考えられます。このことは、前日本代表サッカーチームの監督オシム氏が「日本サッカーの日本化」を唱えたこととも通底するのではないでしょうか。
 真の国際化は、それぞれの国・民族・文化のルーツ・アイデンティティの下に達成されると考えられます。
 日本のスポーツ・体育のルーツといえる大阪の歴史・財産、先人の叡智に学び、斯界の発展に活かせることを期待します。
   

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