沿革
大阪体育学会は、体育に関する科学的研究をなし、体育学の発展をはかり、体育の実践に寄与することを目的として、次の事業を行います。
1 学会大会の開催
2 研究会、講演会等の開催
3 機関誌「大阪体育学研究」ならびにその他の出版
4 その他、前記の目的に資する事業
大阪体育学会の始動期 1946(昭和21)年~1951(昭和26)年
(1)新制大学において体育を必修の教科目として採択
(2)日本体育学会の誕生
1950(昭和25)年2月 日本体育学会設立
1950(昭和25)年11月 第1回日本体育学会大会(於:東京大学)
1951(昭和26)年11月 第2回日本体育学会大会(於:東京大学)
大阪体育学会の揺籃期 1952(昭和27)年~1960(昭和35)年
(1)近畿地区体育学会の動き
1953(昭和28)年4月 第1回近畿地区体育学会発表会(於:朝日新聞大阪支社)
1954(昭和29)年5月 第2回近畿地区体育学会発表会(於:奈良女子大学)
1955(昭和30)年5月 第3回近畿地区体育学会発表会(於:神戸大学)
1956(昭和31)年5月 第4回近畿地区体育学会発表会(於:和歌山大学)
1957(昭和32)年5月 第5回近畿地区体育学会発表会(於:滋賀大学)
1958(昭和33)年6月 第6回近畿地区体育学会発表会(於:同志社大学)(最終回)
(2)日本体育学会第10回大会
1959(昭和34)年11月大阪大学医学部で開催
出席者約500名、発表申込題数360題(第1回大会に比べ出席者数約2倍、題数約6倍)
(3)「大学体育の実態面の調査研究」共同研究プロジェクトチーム
1956(昭和31)年に組織、1957(昭和32)年~1959(昭和34)年日本体育学会大会で発表
この後、研究に関する機運が芽生える。
大阪体育学会の草創期 1961(昭和36)年~1970(昭和45)年
(1)1961(昭和36)年 日本体育学会大阪支部発足(支部長:森脇正夫)
(2)1962(昭和37)年 桃山学院大学で総会開催(出席者26名)
1963(昭和38)年 日本体育学会大阪支部機関誌創刊号発刊
(3)1963(昭和38)年5月 大阪学芸大学天王寺分校で総会開催(出席者23名)
(4)1964(昭和39)年4月 近畿大学会館で総会開催(出席者34名)
(5)1965(昭和40)年4月 大阪市中央体育館で総会開催(主席者19名)
(6)1966(昭和41)年4月 大阪市中央体育館で総会開催(出席者33名)
(7)1967(昭和42)年4月 大阪市中央体育館で総会開催(出席者43名)
1967(昭和42)年 日本体育学会第18回大会開催
(8)1968(昭和43)年4月 日生会館で総会開催(出席者83名)
(9)1969(昭和44)年4月 共済会館で総会開催(出席者51名)
(10)1970(昭和45)年4月 大阪府立女子大学で総会開催(出席者43名)
大阪体育学会の充実期 1971(昭和46)年~1980(昭和55)年
1971(昭和46)年度 会員数238名、事務局を大阪市立大学に置く
1972(昭和47)年度 事務局を大阪教育大学に置く
論文集の名称を「体育学研究論文」を「大阪体育学研究」に改め、原著、速報、抄録等で編集
1973(昭和48)年度 会員数307名、事務局は大阪教育大学
専門分科会は、体育原理、体育心理、運動生理、体育史、体育社会、体育管理、キネシオロジー、測定評価の8分科会、加入希望者は前年度の140名から188名に増加
1974(昭和49)年度 会員数337名、事務局は大阪成蹊女子短期大学に置く
1975(昭和50)年度 事務局は大阪成蹊女子短期大学に置く
大阪体育学会の充実期
1976(昭和51)年~1980(昭和55)年
1976(昭和51)年 事務局は近畿大学に置く
予算額99万円台へ大幅増額、特に刊行費は50万円となる
1978(昭和53)年 事務局は桃山学院大学に置く、大阪体育学会30周年記念大会開催
1980(昭和55)年 事務局は大阪工業大学に置く
支部予算は108万円台、刊行費60万円台となる
大阪体育学会の発展期 1981(昭和56)年~1991(平成3)年
1981(昭和56)年~1985(昭和60)年
1980(昭和55)年 事務局は大阪工業大学に置く
1981(昭和56)年 「大阪体育学研究」第20巻記念特集号発刊、発育発達専門分科会新設
1982(昭和57)年 事務局は関西大学に置く
1984(昭和59)年 事務局は近畿大学に置く
1984 Olympic Scientific Congressで大阪支部から研究発表3題